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寺院案内

光厳寺について
名称 | 大堤山光厳寺 |
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所在地 | 埼玉県北葛飾郡松伏町大川戸2215-1 |
宗旨 | 曹洞宗(禅宗) 曹洞宗は、お釈迦様より歴代の祖師によって相続されてきた「正伝の仏法」をよりどころとします。坐禅を修行の根本とし、坐禅の実践によって得られる身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚し、仏道にかなった生き方をすることを目指します。 |
開宗 | 曹洞宗は、今から八百年ほど前の鎌倉時代に、高祖道元禅師さまが日本に教えを伝えてその基盤を確立されました。 道元禅師様が亡くなられてから五十年後、太祖瑩山禅師さまが多くのお弟子さまとともに一層盛んにされました。 このおふたりを両祖としてお慕い申し上げています。 |
大本山 | 永平寺(福井県永平寺町) 總持寺(横浜市鶴見区) |
教義 | 私たちは、仏様と同じ「仏心」を与えられてこの世に生まれました。しかし、その尊さに気づかずわがまま勝手な生活をして、苦しみや悩みのもとをつくっています。そこでわたしたちは、釈迦牟尼仏、高祖道元禅師さま、太祖瑩山禅師さま(一仏両祖)の御前で誓いを新たにし、仏の教えを信じ、仏の教えに導かれて、本来の自分の姿(仏)に目覚め、まごころに生きる実践を深めなければならないのです。そこに生きがいと幸福を見出すのが曹洞宗です。 |
本尊 | 釈迦如来三尊像 中尊 釈迦牟尼仏 脇侍 文殊菩薩 普賢菩薩 |
開創 | 正安二年(1300年) 他に仁治二年(1241年)や建久元年(1290年)の説がある。 |
開基 | 直蔵主 外護者 鎌倉幕府御家人 大河戸氏一族 |
本寺 | 成安寺(埼玉県比企郡滑川町) |
開山 | 佛山祖直大和尚(文禄元年 1592年10月1日示寂) |
境内 | 7662平米(2317坪) |
埼玉県史跡 | 帰依佛塔(寺開闢の石仏) 昭和7年3月31日指定 |
住職のご挨拶
埼玉県北葛飾郡にある大堤山光厳寺です。
地域の人々の心の支えとして、日々励んでおります。
ご祈祷やお墓・納骨堂の案内もお気軽にご相談ください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
地域の人々の心の支えとして、日々励んでおります。
ご祈祷やお墓・納骨堂の案内もお気軽にご相談ください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

曹洞宗とは
「曹洞宗(そうとうしゅう)」は今から800年ほど前の鎌倉時代に、「道元禅師」が正伝の仏法を中国から日本に伝え、「瑩山禅師」が全国に広められたのが礎となっています。
坐禅の教えを依りどころにし、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」となります。日々の生活を意識して行い、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方です。
坐禅の教えを依りどころにし、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」となります。日々の生活を意識して行い、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方です。
仏祖正伝の宗教
道元禅師は、中国に渡り天童山景徳寺の如浄禅師に師事して、只管打坐で身心脱落し、日本に帰りインドの過去七仏、そして釈尊、中国の歴代の仏祖たちが正伝する正法の基本について、正身端坐(姿勢を正しくととのえて足を組み両手を置いて坐る)、を示された。(「永平光録」第5巻、「普勧坐禅儀」「正法眼蔵」「辨道話」「永平清規」など)
この宗旨を継いだ道元禅師のお弟子、徹通義介禅師は「一実知見」(ただ真実のみを把握する智慧)の正眼(正しいまなこ)を「開明」(開いて明らかとなす)して、「一切不為」(すべてなにもしない)「三昧 」(坐禅)に「安住」(安定して不動)する。そして「節倹」(つつましく生きる)と「陰徳」(おもてに出さない佳い行い)を示しておられる。
これに従って、そのお弟子瑩山禅師は、正法の純粋性、正統性、歴史性、一貫性を堅持しつつ(伝光録「瑩山清規」など)、坐禅の民衆化(「坐禅用心忌」「三根坐禅説」)、女人救済、檀信徒への尊宗(「洞谷記」)既存の信仰の容認と包容、多数の寺院の建立と明峯禅師、峨山禅師など多くの弟子たちを養成され宗団の基礎づくりをなされた。(「洞谷記」)。
この宗旨をうけとめるためには、正しい師に学んで、正法に対する正しい理解と実践、そしてすべてのまわりに対する慈悲のこころで生きていく誓願をおこすこことなる。
この宗旨を継いだ道元禅師のお弟子、徹通義介禅師は「一実知見」(ただ真実のみを把握する智慧)の正眼(正しいまなこ)を「開明」(開いて明らかとなす)して、「一切不為」(すべてなにもしない)「三昧 」(坐禅)に「安住」(安定して不動)する。そして「節倹」(つつましく生きる)と「陰徳」(おもてに出さない佳い行い)を示しておられる。
これに従って、そのお弟子瑩山禅師は、正法の純粋性、正統性、歴史性、一貫性を堅持しつつ(伝光録「瑩山清規」など)、坐禅の民衆化(「坐禅用心忌」「三根坐禅説」)、女人救済、檀信徒への尊宗(「洞谷記」)既存の信仰の容認と包容、多数の寺院の建立と明峯禅師、峨山禅師など多くの弟子たちを養成され宗団の基礎づくりをなされた。(「洞谷記」)。
この宗旨をうけとめるためには、正しい師に学んで、正法に対する正しい理解と実践、そしてすべてのまわりに対する慈悲のこころで生きていく誓願をおこすこことなる。
令和二年五月吉日 加賀大乗寺七十二世 東隆眞大和尚 識